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DATE : 2019.11.04

自己信頼ということは、身体に従って生きること。

 自分を信頼するということ。

 身体を整えて痛みや不調を治し、
 予防するという研究を続けて40年。
 分かったことがある。

 世の中には「自己を信頼する人」と
「自己不信の人」の二種類が存在するということだ。
 
 私の研究の8割が自分の身体の観察記録をベースにし、
 2割が他者の研究発表を本で学んでいるので、
 自力整体は、私の身体を使った実験で作られている。

 身体というものは「こうすれば、このような結果が必ず起きる」ということを教えてくれる教師。
 もちろん、不摂生で身体の声をないがしろにしたこともあった。 その時は坐骨神経痛という強烈な答をもらった。
 そして反省し、断食をすることで坐骨神経痛がなくなった。

 そんなことを繰り返しているうちに、
 私にとっての教師とは、他者の教えではなく、
 身体からやってくる痛みのメッセージだった。
 
 それがわかってからは、自己信頼が強くなった。

 極端に言えば、身体が死ぬときはそれに従おう。
 医療で死ぬのを回避することはしない。
 それくらい自己信頼が強くなった。

 すると健康になりたいという欲望すらなくなる。
 不健康な生活しながら、健康を願う人が馬鹿に思えてくる。
 自分がやったことの結果が身体に出るのだから。
 
 安心の境地は、どんな状況になろうとも自己を信じること。
 身体が死のう、終ろうとしている時、
「ああ、そうか、これまでありがとう」と感謝できること。

 それは日ごろから身体を大事に扱って、いたわって、
 感謝して生きている人の境地であって、
 死ぬ間際に即席でできる境地ではない。

 何かの神様を祈っての境地でもない。

 私が信じるのはイエスでもブッダでもなく、この身体である。
 命を運んでくれる身体こそ、正しく生きることを教えてくれる。
 
 私が宗教が嫌いなのは、命より思想を大事にするからである。
 戦争しかり、自爆テロしかり。

 頭が身体を支配してはいけない。
 身体が頭を支配しないと、平和な世界は来ない

by 矢上 裕

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