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DATE : 2022.01.24

野生の力、身体的知性

 ふと思うことがある。

 私がもし、外向的な性格であったら、自力整体は生まれていないだろうなと・・・

 これは生まれつきだと思うが、自分の外部の世界で起きていることへの関心は薄く、自分の内部で感じることやひらめくことへの注意の方が強い性格なのである。

 だから口下手であり、口論はまるでダメ、 自分の思いは文章にすることの方が得意。

 インターネットの情報にも関心がなく、スマホも持つ必要がない。

 相談事は、自分が自分に相談して決めてきた。 自問自答というやつである。

 この自問自答する性格で、自分の心や身体と対話する習慣がついた。

 このことを、専門用語で、「身体的知性」という。

 おかげで、自分が動いているとき、「どの筋肉をどれくらいの強さで使っているか」 がわかる。

 例えば、私の整体治療は私が独自に開発したものだったが、こんなしくみである。

 患者さんに触れながら、ある動きをさせてみる。

 すると、左側の筋肉には力が入るのだが、右側は力が入っていないのが、触れている私にはわかる。

 そして左右交互に動かさせていくと、ある時点で弱かった筋肉に力が入るようになり、左右均等になる。

その時点でゆがみが直っており、痛みが消えているという治療である。

 何のことはない、私が患者さんに触れながら動きを指示しているだけで、患者さんは自力整体をして、自分で動いて治しているのである。

 これは私自身が内部感覚に敏感だからこそやれる、得意技なのだ。

 そして、この得意技は健康に生きていくために、「大きな病気をする前に、身体が発する違和感」を

キャッチすることができる。

 この

  •  「内部への注意力」
  • 「身体が発する違和感への気付き」
  • 「すぐに微調整をして元の状態へ戻す」

 この3つの能力は、アスリートの能力であるが、私たちも訓練すべきではないか?

 身体を使って生きている人間として、「おかしくなったら医師に任せる」のでは身体的知性が錆びる。

 私たちの意識には限りがある。

 外側情報へ意識を向ければ向けるほど、内側感覚への注意力は少なくなる。

 考え事が多いほど、怪我をしやすくなるのはそのためだ。

 せめて、半々くらいに意識を向けたいものである。

 そうすれば、何かが身体に起きた時、それは何故なのかに気づくことができる。

 身体が教えてくれるはずだから。 

 もっと、野生の力、本能の力、生命力を信じて、任せて、ゆだねて生きてもいいんじゃないかな。

 

by 矢上 裕

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