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DATE : 2021.05.14
正しさと優しさの違い
自宅のマンションの自転車置き場から、歩道に出てくる場所に塀がある。
その塀は歩道を右からやってくる人の流れを見えないようにしているので、1か月ほど前マンションから来る自転車の女性と、歩道からスマホを見ながら自転車を走らせている青年とがぶつかった。
ちょうどその場所に居合わせた私は、さっそくマンションの管理人に塀の撤去を訴えた。
そして、塀は撤去され、視界がよくなったので、衝突事故はなくなった。
ところが、マンションのある住人からクレームがあり、塀の撤去反対意見が出た。
そして、塀の撤去に賛成の人と、反対の人とでアンケートを取るということになったのである。
確かに塀の撤去にクレームをつけた人の反対意見を読むと正しいことが書いてある。
例えば「自転車を降りて左右確認すれば事故は起こらない」など、確かに正論である。
相手を打ち負かすための正しい意見であり、議論にはその人が勝つかもしれない。
なぜ、このような話をこのダイアリーに書くかというと、「正しさと優しさは違う」ということを知ってほしいのだ。
高齢の男性に陥りやすい思考回路が、「正しい意見が最後には勝つ」という、思い込みだ。
弱者に思いを寄せず、よそ者を排除し、自分の理屈の正しさのみを信じぬく、不寛容な石頭だ。
「さぞ、つらいだろうな」とか「そのつらさ、一緒に何とかしましょう」という医師も少なくなった。
「相手の心に寄り添い、ともに痛みを分かち合うやさしさ」 があれば、「戦争」はおこらない。
「人の痛みを我が痛みとして共感できるようになったとき、人は大人になったといえる」という言葉がある。
マンションのクレーマー爺さんたちは、「今だ 大人になり得ていない人たち」である。
もし、孫に名前を付けるとしたら、「正一とか正子」ではなく、「優一とか優子」と つけてほしいものである。
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