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DATE : 2019.08.06
8月になると戦争の新聞記事が出る。
私の父もシベリアに抑留された54万人の兵隊の一人である。
過酷な環境で5万人が亡くなったが、よくぞ生きて故郷の地を踏んでくれた。父が生きて帰ってくれて8年目に私が生まれた。
私が17歳に流行った歌がある。
時はベトナム戦争。
反戦フォークで寺山修司の詩。
私と同じ年代(66歳から70歳前後)の方は
知っているのではないかな。
戦後74年が経ち、亡くなった300万の兵士、数十万の空襲や原爆で犠牲になったの民間の方々へ捧げる。
戦争は知らない 寺山修司作
1、野に咲く花の 名前は知らない
けれども野に咲く 花が好き
帽子に一杯 摘みゆけば
何故か涙が 涙が出るの
2、戦争の日は 私は知らない
けれども私に 父はいない
父を思えば ああ荒野に
赤い夕陽が 夕日が沈む
3、戦争で死んだ 悲しい父さん
私はあなたの 娘です
二十年後の このふるさとで
明日お嫁に お嫁に行くの
4、見ていてください はるかな父さん
イワシ雲飛ぶ 空の下
戦しらずに 二十歳になって
嫁いで母に 母になるの
この歌は、鼻歌で歌っていても「うっ」となって涙ぐんでしまう。特に3番の「私はあなたの娘です」の所から、声が出なくなるのである。
私は思う。国を守るために戦いたいという人は兵士として戦えばよい。
しかし、昨日まで散髪屋だったり、学生だったり、野球選手だったり、学校の先生だったりする「人を殺すプロ」でない人を、いきなり戦場へ連れ出していくという戦前の考え方ってどうなんだろうか?
私が日本を誇りに思うことの一つに、奴隷制度が世界で唯一なかった国である。日本国民は外国の奴隷制度を軽蔑していた。
ところが、日本にも奴隷制度はあった。
それが徴兵制であり、政府は国民を奴隷として戦場に送っていたのだ。
だから命に対する尊厳もなかった。
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