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DATE : 2019.08.20
筋肉というセンサー
筋肉というセンサーについて語ろう。
長年自分の筋肉を意識して生きてきた私にとって、筋肉から脳への色々な報告を聞いてきた。
筋肉には言葉がないので、現在心と身体に良い状態である時には「脱力」という答。
悪い時には「緊張」という答で反応するが、この脱力と緊張の感覚はなかなかつかめない。
というのも緊張が続くと、緊張している事に麻痺してしまい、緊張していることすらわからなくなる。
そこで私が不要な緊張があるときに目安にするのが、
脳の緊張、熟睡感がなく、頭脳が明晰でない。
身体の緊張 呼吸が浅く、身体が硬い。
内臓の緊張 排泄が悪い。食事がおいしくない。
と考える。
これらすべては脳が危機感を感じ、安心できていない状況である。するとどうなるか
慢性疲労である。それがうつ病になる。
自分が今置かれている環境を楽しめていないどころか危機感を持って緊張している状態が、慢性疲労になる。眠れないから疲労の回復もなく、山のように疲労が積もるだけ。
そこで考え方の転換が必要になる。
それは自分がする全ての作業や仕事を、「自分がうまくなるための練習として、賢くなるための学びとして、肉体を鍛えるための鍛錬として」行うことだ。決して他者の為、義務を果たすために自己犠牲を強いられると思ってはならない。
同じ仕事をしていても、前者は元気いっぱいで成長していく、後者はすり切れていく。
私は仕事というのは、「腕を上達させる。 脳を賢くさせる、身体を丈夫にする」ための神から与えられたトレーニングマシンだと思う。
そう思うだけで明日の仕事が楽しくなってくる。
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