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DATE : 2019.12.20

研究と発見の苦労

 先日研修生のレポートの中に、こんな感想が書いてあった。
「十数年先生から学んできたが、常に説がコロコロ変わるので、
 振り回されてきた。最近やっと定着してきたので
 ほっとしている」

 厳しい意見だが、ごもっともである。
 でもこう考えてはくれないか

 私が自力整体を考案するためにヨガに入門したのが26歳
 それ以来今の66歳になるまでの40年間、色々な整体の技法や
 食べ方、例えば糖質制限、生ものを食べるローフードなどを
 実際にやって確かめてきた。
 その上で、これは良くないとか、いいとか確かめて、
 良い物だけを残して今があるわけだ。
 これは今後も続くだろう。
 これが研究者としての仕事なのだから。

 その私の研究と発見の姿を外側から見て、
「コロコロ変わる、振り回されてきた」というのは
「最初から変わらない真実だけを伝えてよ」ということだろうが、それは無理なのだ。

 ヨガなど誰かが完成させたものを教えるのならば、
 同じことを弟子に伝えることができるだろう。
 しかし、自力整体という世の中に存在しなかったものを
 新しく作るにはあれを試してみたり、失敗してみたり、
 その試行錯誤が必要なのだ。

 おそらく私はそれを死ぬまで繰り返し、
 死ぬベッドの上でさえ私は「自力整体の動きは、こう改良した方が良かったのでは」と言いながらこの世を去ると思う。

 だから死ぬ寸前まで「コロコロ変わる人生」なわけだ。

 でも、40年間毎日24時間自力整体の改良を考えながら試行錯誤を続けている努力している師に対して「コロコロ変わる、振り回される」っていうのって、自分は何の努力もしないで、答えだけを欲しがっているように思えるな。

 私は自力整体を指導する際、
 次回はより良い自力整体に更新している。
 これが毎日続く。
 一年前に私から自力整体を習った人は、毎日更新している
 自力整体の一年後は全く違ったものに見えてくるだろう。

 私だったら、師が日々更新している姿を見たら誇らしい。
 その努力している師の姿を尊敬し、
 必死でその更新についていきたいと思う。

 学ぶとは、人の努力の結果だけを欲しがることではない。
 一緒に歩むことなのだ。一緒に試行錯誤すること

 自分は努力しないで、
 完全無欠の「結果、答え」だけ欲しがるのは どうなんだろう。
 

by 矢上 裕

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