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DATE : 2020.01.28

未来の自力整体の風景

 自力整体の柱は自己治療であり、自己整だ。
 だから「このやり方をやりなさい」と強制されるのは
 自力整体ではない。
 教室で教えるカリキュラムはあくまで参考である。

 先生が教えているのは、その先生が楽になる自力整体だ。
 受けている生徒は、それを参考にしながら自分の整え方を学ぶのが良い。だって、全生徒を満足させる自力整体はないもの。

 習い事の世界に「守、破、離」という言葉がある。
「守とは師の教えのままを守る時期、
 破はその師からの基本形を破り自分流を創造する時期、
 そして師から離れていく時期」
 誰もがそうなるとは限らず、師の最後まで師に従う人もいるが、自立した考えの弟子は「守、破、離」をやってきた。
 私もそうだ。

 だから離れていくナビゲーターも卒業者として歓迎している。
 もちろん、自力整体という名称も使えばいい。

 私の場合は「自分を整体する姿」を見せるのが指導だ、
 生徒はそれを自分の身体で再現していく。
 私の自己治療を参考にしながら、自分の為の治療を
 組み立てて、指導者なしでも一人でできるようになるのが
 ゴール。

 だから教えるための自力整体ではなく、
「自分の為の自力整体」を見せて、生徒が「自分の為の自力整体」を体得していくという流れを目的としているわけで、
「教室の人数を増やして、金銭を得る」ことを目的とすると
 商業ヨガのようにはしてほしくない。
 そこを目指してしまうと、自力整体ではない。

 どれだけの人数の生徒がいるかということはどうでもいい。
 教えているナビゲーターが、どれだけ心身の改善ができているかの方が、私にとって重要なのである。

 幸せの道具としての自力整体が、商売になってはおかしい。
 自分にとって気持ちが良い最高の自力整体を披露して、生徒がそれを参考にして自分の自力整体を家でやれるようになることが、最高のナビだ。

  どうか、数字にこだわるな。
 他人、生徒の評価もどうでもいい。 自分を癒すことだ。
 その姿を見せるのがナビゲーターである。
 
 ナビから教えてもらっている人たちも、教わるのではなく
 自分の為の自力整体を授業から「盗む」気持ちでいてほしい。
 もうこれ以上盗むことがなくなったら、離れていけばいい。
 これが守破離である。

 明日も私は自分の為の整体を、
 多くの人の前でやるだけである。

by 矢上 裕

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